
7月末、お友達からメッセージで「訃報」の知らせが来ました。
少し前から病気で入院されていた纏(まとい)の嶋村大将が亡くなられたというショッキングな知らせでした。
そのお友達というのも、偶然に伏見のお店で隣り合わせになり、話がはずんでお友達になった常連さんからでした。
※2015年4月
私が初めてお店にお邪魔したのが、7年前の2015年でした。
その時にいただいたざるうどんの「薬味」に超驚きました。
大根で作った蝶々なんて、これ芸術やん!!
※2015年7月
大将(マスター)の嶋村さんとは年齢も近く、話も合ったのでそれから結構通いました。
京都の伏見なので、やや遠かったものの暫く行かないと、「おまかせ」が私を呼ぶんですよ。
特に「おまかせ」でよく登場した”絶品ローストビーフ”は何度となくいただきました。
※2016年1月
お店に顔を出すと、嶋村大将が笑顔で大歓迎してくれました。
そして、それは料理にあらわれるようになっていきます。
そう、盛られる、盛られる(笑)

カレーうどんを食べようものなら、「ご飯もいるでしょ?」と言われ・・・
こんな本格的なカレーライスが出てきて驚かされました。
ちゃんと福神漬けまで付いてるし(笑)
※2016年6月
またある時なんかは、お隣の常連さんに出されたうどんに驚かされました。
後で聞いたところ、めちゃくちゃ大食いの方でしたが。
お客さんにお腹いっぱいになって帰ってもらうのが、嶋村大将の最大の喜びだったのでしょうね。
※2018年2月
「ヒレカツ定食」のカツの厚みと量には、マジで目が飛び出ましたよ。
大将の口癖は、「足らなかったら言ってくださいね。」でした。
わたくし、一度も足らないと感じたことはありませんwww
※2018年9月
中でも特に印象に残っているのが、この「お造り定食」です。
当時のブログで、「
造り過ぎ定食」と命名しましたwww
これ、船盛並みでしょう。

ちょうど、この「造り過ぎ定食」をいただいた直後に、しばらく休業する旨の告知が。
病気はガンだったとご本人にお聞きしましたが、短期間で復帰されたときにはビックリしました。
嶋村大将って、超人か鉄人かと真剣に思いましたよ。
※2019年10月
長距離ドライブがてら、秘書もよく同行しました。
おかげで、秘書とも顔馴染みになり、仲良くしてくれました。
でもさすがに、うどんの単品がこの量で出てきたときには、ドン引きしてましたね(笑)
※2020年5月
うどんと共に、ハンバーグや海老フライが出てきたこともありましたね。
料理人の嶋村さんだけに、何を作らせても間違いない。
うどん屋さんだけでは、ホントにもったいないような存在でした。
※2020年12月
そして、京都の伏見から大阪の吹田市へお店を移転されました。
大将からも直接ご案内をいただきましたが、少し落ち着いた頃合いをみて訪問しました。
伏見からも多くの常連さんが引っ切り無しにお越しでした。

こちらは、移転のお祝いに私が贈ったプレートです。
いつも盛ってくださったお返しも込めてのプレゼント。
大変喜んでくださって、お店に飾ってくれていました。
※2021年5月
今となっては、最後の訪問となってしまったのがこちらのカツ丼でした。
この日は秘書も吹田のお店への初訪問でした。
帰宅後、大将からメールをもらい、「秘書様と久しぶりに会えて嬉しかった。」と言ってくださいました。
その後、コロナ禍もあって、お店をしばらく休業され、最近入院。
ガンが再発されたのでしょう。
たくさんの常連さん達が病院へお見舞いに行かれていました。
お元気そうな顔でFacebookをアップされておられたのに・・・。
ただ、大将の病状が相当悪いとお聞きしていたので、私はあえて面会は控えていました。
私の中では、元気な嶋村大将しか知らないので、現実に直面するのが怖かったのかも知れません。
そして、ついにお会いすることも叶わないまま、7月29日に永眠されたとのことです。
ご家族からは、「苦しむことなく眠っているような顔で、天国に帰っていきました。」とのこと。
ただ、早すぎる旅立ちに、いまだに信じきれない思いです。
私の中では、鉄人だったはずなのに・・・。
嶋村大将、これまで本当にお世話になり、ありがとうございました。
大将、またいつか盛ってくださいね!!
※今回は予定を変更して、纏(まとい)さんの追悼記事を書きました。
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SNSを見ているとアルバイトの方からも愛された店主だなぁと常々思って見ていました。
面倒見の良い店主だったのですね。
今年も何度か行こうと思い検索すると休業中と出ていて心配していたんです。
謹んでお悔やみ申しあげます。